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2015-10-09

ひと図鑑 漆紫穂子さん(品川女子学院校長)

大正時代に創立された品川女子学院6代目校長として、新しい時代の女子教育に奔走する漆紫穂子さん。そのほとんどの時間は、生徒たちのために費やされています。「決断するときには、何かを捨てなくてはならない」と話す漆さん。生徒たちへの、女子教育への想いに頭が下がります。

漆紫穂子さんプロフィールIMG_0070
品川女子学院校長。他校の国語科教員を経て、曾祖母が大正時代に創立した品川女子学院の学校改革に参画、7年間で中等部入学希望者を60倍にした実績をもつ。2006年には父の後を継ぎ第6代校長に就任。28歳になったときに社会で活躍している女性を育てるという「28プロジェクト」など、女性の社会進出を見据えた特色ある教育に取り組んでいる。社会問題を解決するために、志を持つ人々が持続可能なソーシャル・ビジネスを創造するための支援を行う「ソーシャル・ビジネス・プラットフォーム」の理事も務める。
Q. ひいおばあさまが創立された品川女子学院の校長先生をされています。子どもの頃から教員になりたかったのでしょうか?

私はこの学校の6代目の校長になります。祖父が校長、両親ともこの学校に勤めているという環境でしたから、子どもの頃から教員という仕事以外は見たことがありませんでした。保育園に通っていた4歳くらいのときには、「この先生みたいになりたい」「この先生は子どものことを考えていない」なんて思ってね。大人になったら、子どもの話をきちんと聞く先生になろうと決めていたんですよ。後に保育園の園長先生になられた当時の先生にお会いしたとき、「しほちゃんに教えられたわ」っておっしゃっていました。

高校生になって、同級生が将来の職業について話しているのを聞いたとき、「このままレールの上を走っていっていいのかしら? 」って自問自答したんです。でも他の仕事に就いた自分を想像しても、ちっともわくわくしないんですね。一方で教員になった自分を思い浮かべると、その姿がどんどん膨らんでいきました。教員になると引率が必要になる。海に行くことがあるかもしれないから水泳の指導員や日本赤十字の救助員の資格を取ろう。スキーも滑れた方がいい……。引率から想像できることにはすべてトライしました。考えるだけで気持ちが盛り上がるんですね。やはり私は教員になりたいのだという思いを再確認しました。教員になるために、この家を選んで生まれて来たんじゃないかと思えますけど(笑)。

Q. そうして教員の道に進まれました。

IMG_0065私は教員になりたかったのであって、決して経営者になりたかったわけではありません。祖父や両親を見て、学校経営の非常に厳しい状況はわかっていましたから。でも授業も受け持って、生徒のために奔走する両親の背中を見ていたので、教員の仕事の尊さも知っていたんです。小さい頃から兄弟3人だけで食事を作って食べることもよくありましたよ。そうしなければいけないくらい、教師は大切で神聖な仕事だと思っていましたから。そんな環境で育ったので、教員に対するあこがれはとても強かったです。

でも経営のつらさや大変さも嫌というほど見ていたので、一旦は本校ではなく他校の教員になりました。やりがいを感じてこのまま教員を続けて行こうと思っていたとき、本校が中等部の1学年が4人というような経営難の状況になってしまったんです。同じ時期に、経営者だった母が癌になり、余命6ヵ月と言われました。結局母は今の私の年に亡くなったのですが、みんなが大切に育ててきた品川女子学院という学校がまさに風前の灯となって、経営者の母も倒れてという状況のなか、私が手伝えることは本当にないのだろうか? もし少しでも私がやれることがあるなら、今その道に進まないと後悔すると思ったんですね。自分の天職とまで思えた教員の仕事はあきらめて、経営に参加することを決めました。

Q. 教える立場から経営者になられたのですね。

学校改革のメンバーになりました。そのときには将来経営に携わるという覚悟はすでにできていました。自分のことだけを考えて生きていっては、きっと後悔するだろうと思ったんです。決断するときには、何かを捨てなくてはならないんですね。時が経つにつれて、勤めていた学校への感謝の気持ちが沸き出て、恩返しができていないことにも気づきました。当時の自分と逆の立場ですからね。そうするとまた後悔の気持ちが沸いてくるんです。でもそのときには、後悔のない決断はないということもわかって、いい意味でのあきらめが生まれてきました。

私は「明きらむ」という言葉が好きなんです。この言葉の語源は「明らかにする」、後悔はする、でも明らかにして自分自身で決めるということです。後悔したくないと思ったらと選べなくなっちゃいますからね。後悔はして当たり前だってわかったうえで、こちらを選ぶ、こちらはあきらめる、そのために明らかにする、それを繰り返していくんです。

Q. 学校改革は成功しましたが、校長としてのご苦労も多いことと思います。

預かっている1200人以上の生徒の後ろには、さまざまな事情を抱えられたご家庭があります。常に何がIMG_0059起きるかわからないリスクを抱えていますからね。私学の場合、もしひとりの生徒に何か起きたら、学校全体が立ち行かなくなります。そのときには、2万人の卒業生の母校がなくなってしまうわけです。1200人の生徒の身の安全と母校を守る責任を毎日抱えているわけですよ。安心して眠れた日はありません。ストレス性の病気で入院したり、難聴になったりしたこともありました。

昨年末にある方から「仕事をしていて漆さんは楽しいの?」って聞かれたんです。その言葉をきっかけに、こういう人生で本当によかったのかと考えました。母が亡くなった50代になったこともあります。そんなとき、友人がある大学の研究データを見せてくれました。そこにはハピネスと意義ある人生は両立しないという研究結果が書かれていました。意義ある人生を追っていくと、日々の楽しさや気持ちよさをさすハピネスは減るんだそうです。でも意義ある人生は未来にリンクするという……。この研究結果を知ったとき、私は今の幸せを求めなくていいんだと思えたんです。これから日本の人口も減っていくでしょう。そんななかで本校の生徒達が日本の良さ、すばらしさを世界に発信できるような人材に育ってくれると考えたとき、私はがんばれるし、心から幸せだと思えるんです。1200人の生徒の安全と2万人の卒業生の母校を抱える立場で、毎日をおもしろおかしく生きることは難しいと思うんですよ。

Q. 日本の良さ、すばらしさを世界に発信する女性に育てる……ですか?

本校は創立以来、人を育てたいという理念があり、それを入学説明会でお話します。その学校の方針とご家庭の子育て方針が合う人が本校に入ってきます。だから、「○○大学に入れたい、入りたいと」は、親御さんも生徒も思っていません。未来の自分がどのように世の中で役に立っていくのかを考えたときに、こういう仕事に就きたい、だからこの大学をめざそうと勉強します。自分の目標に合わなければ、最難関と言われる大学の指定校推薦も使いませんし、たとえ学年で数学が1番だったとしても、将来の仕事から逆算して考えて、あえて文系に進む生徒もいます。そこがぶれると、自分自身の人生のキャリアと子どもの産み時がぶつかったときに、選択を間違ってしまうことになります。

確かに大学の名前は就職には少し有利に働くかもしれませんけど、女性の場合、第一子の出産のときに一旦仕事を休む人は7割、その後仕事に戻れる人はその2割と言われています。そういう現状のなかで、どういう人が自分の望み通り、同じ仕事を続けて行くことができると思いますか? そう、専門性の高い人なんです。どこの学部学科でどういう学問を修めたか、どんなスキルを持っているか、部活でどれだけ人をまとめていたかなど、総合的な力が重要になってくるんです。

私自身は、今年は学校勝負の年だから自分がいない学校をイメージできない、毎年そう思って、気付いたら40半ばになっていたんです。もちろん自分で選択した道ですから、後悔はありません。生徒達には、そういう状況もわかったうえで、仕事も出産も自分の意思で選んでいってほしいと思います。

Q. 総合力をもつ女性を育てる教育ですね。

本校の創立は女性参政権のない対象時代です。そのときから一貫して女子の社会進出を応援してきました。教育は、子ども達の10年、20年、30年先を見据えて、未来に種まきをしていくことです。

今すでに世界のあちこちで紛争が起きていて、いろいろな資源が枯渇しつつあります。10年後、20年後IMG_0060に、その資源が奪い合いになるのか、分け合いになるのか……。分け合える社会を作っていくためには、世界の中でもっと日本人がプレゼンスを高めて貢献していかなくてはいけないと考えています。今後日本は人口減少社会に入って来ますし、OECDの発表によればGDPが中国の1/9になるというような話あります。もっと世界に日本の素養が生かされていかなくてはならない、しかし人は減る。このような状況のなかで、日本には女性の力という大きな含み資産があると考えられています。

昨年、ミャンマーで行われた世界経済フォーラムの東アジア会議(通称アジア版ダボス会議)に参加して来ましたが、日本女性の地位はその当時101位、その後105位。先進諸国でこれだけ女性が活躍していない国も珍しいですよね。しかし逆を言えば、それだけ女性が活躍する余地があるということになります。だからこそ、今の子ども達は親世代が見たこともないような活躍の場が広がりますから、一層女子教育が必要になると考えているのです。「202030」の言葉のとおり、2020年までに政治の世界や企業などの指導的地位に女性が占める割合を30%にしようというというラッキーな風が吹いてきて、社会的な責任を担う時代になりますので、そこをめざして、未来から逆算した女子教育を実践していきたいと思っています。

Q. 30代の頃の漆さんのことをお話しいただけますか?

30代は大変なことの連続でした。いろいろな岐路があったし、人間的にもまだバランスが取れていないし、理不尽なこともいっぱいありました。ときどきキーってなって、家でゴミ箱を蹴っ飛ばしたりね(笑)。日々目の前にあることをこなすのに一生懸命でした。でもその結果が積み重なっての私があると思っています。うまくいかないこと、思い通りにならないこと、悔しいこと、みじめなこと、いっぱいありましたよ。私ばっかりと何度思ったかわかりません。だめだったこと、無意味だと思ったこと、いやなこと、その時々の出来事が点でつながって、一本の道になって。今振り返ってみれば、意味がないことはひとつもなかったと思えます。

Q. 漆さんに続く若い女性たちにメッセージをいただけますか。

30代の女性って、結婚や出産、仕事と、迷うことがいっぱいある時期です。後悔のない決断はないので、どっちを選んでも後悔すると思って、まずは決める。だめなときもみじめなときも、その時間には絶対意味があるんです。今起きていることは、必ず意味があるということをまずはお伝えしたいです。あきらめずに受け止めるっていうことですよね。そして、やると決めればリソースが入ってくるし、その運を継続するためには、けちにならないことが大切です。これらが今の私につながっています。

生徒達や卒業生には、「今のリソースだけで考えるな」とよく話します。学校改革の時も、今の私達の学校、今の自分って考えていたら、あまりにもリソースがなくて、改革の一歩は踏み出なかったと思うんですね。しかし思い切ってやると決めた。その後も、私利私欲ではない、世の中のためにと決めると、いろいろな人が手伝ってくれたり、情報が集まってきたり、不思議とリソースが増えました。だから今のリソースだけで考えないことが大切。今自分にないからやらないのではなくて、まずはやると決める。そうすれば、必ず周りの人が助けてくれますから。自分にないものを探してできない言い訳にするのでなくてね。

そしてもう一つ。けちな気持ちを起こしてはいけないということ。これは私の実感なんですけれど、自分の学校さえよければいいと情報を囲ってしまうとどうも運が落ちるようです。本校の場合、リスクも背負い込んで苦労してやったこともオープンにして、どんどんそのノウハウ教えることにしています。本校が最初にトライして、今は他の学校のスタンダードになっていることもいっぱいありますけれど、それらをけちな気持ちを持たずにどんどんオープンにしていくと、まるで誰かが上の方から見ていて、新たに運が供給される感じがするんです。けちな考えで分けない人、流れを止めてしまう人には運は訪れませんよ。目先の損得ばかりを考えず、情報をオープンにしてシェアすることを心がけていると、きっとまた別のものが得られますよ。

漆紫穂子さんとお目にかかって

IMG_1388漆さんの想いは、いつも品川女子学院に在籍する生徒、卒業生のすべてに注がれています。曾祖母の創立した品川女子学院を守るべく、そして育てるべく、漆さんの生活のすべては回っているのです。日本の女子教育の未来をここまで幅広く、そして深く考えている人は他にいるのでしょうか。

しかしそのために、何度も岐路に立ち、迷いを切り捨て、決断を繰り返してきました。
生徒の安全と卒業生の母校を守るための意義ある人生を選択するために、日々の幸せは求めないと話す漆さん。その潔さに頭が下がりました。

一方で、自ら乳癌を経験しながら、検診の重要性を啓蒙する事業を起業したという品川女子学院のDNA、マインドを受け継ぐ卒業生のことを話す漆さんの目はとても優しく、誇らしげです。「自分のことだけを考えて生きてはきっと後悔する」と学校経営の道に進まれたときの気持ちは今も変わりません。

これからの宿題は「自分がいなくても品川女子学院のDNAが継続、発展するための仕組みを作ること」。今から何十年後かの漆さんご自身の未来から逆算しながら、目的に向かって着々と準備を進められているようです。そして、漆さんに見守られ育った生徒たちが縦横に活躍する世の中はもうすぐそこまで来ています。

※2014年5月に、東京で働く・暮らす女性のライフスタイルコミュニティ「東京ウーマン」に寄稿した記事を転載いたしました。

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